『忘レナ草』 ユニゾンシフト(渡部好範) : 時の砂・月の雫

忘レナ草 オリジナルサウンドトラック&アレンジ

忘レナ草 オリジナルサウンドトラック&アレンジ

 人は忘れるから生きてゆける。死神は忘れられずに過去に囚われた現象となった。
 果たされぬ一念をもって人が亡霊という「現象」になるのなら、古くからの憑き物落としの語りの類いと、事の顛末は同じものとなる。
 それが、死神エアリオの囚われた砂時計。
 作中で明示されず、この推測が正しいか否かは分かりえない。それでも一つの推論を立てるのなら"彼女はループしている"。砂時計を回し、また戻し、それを繰り返すことで、主人公矢部正広の行く末を何度も見届けている。時間を戻しているので、彼女は元の記憶を持たず"いまが戻ってきた時間なのか、そして何度戻ってきているのか"という大きな時計での時間を知らない。彼女は"今"以外の時間を持たない。
 だから、そんな彼女の時間を動かすのは、運命の巡り合せに生きた人間として変化していく正広たちの行動にしかなりえない。当たり前の話である。彼女自身の時間は既に止まっていて、単独では「現象」でしかないのだから。


 メタレベルで完全に封殺され、完成した悲劇である。砂時計が行き来する時間の中には「幸せな結末」にたどり着けるだけの材料が、そもそも、残っていない。
 これが、作中で示される人間観と一致を成していて美しい。現世で生きたものとして実在するための三つの条件、身体・魂・エネルギー。身体は時間的可塑性を約束されていて、この世界観での生き物の死とは、これを保てなくなることによって始まる。何もこんなややこしい言い回しをせずとも、単純に、身体が弱っていく、ということでもある。
そうするとその存在は物質世界での形を留めていられなくはなるが、イコール消滅ではない。身体の崩壊によってあぶれた魂とエネルギーの二つを切り離して、消滅させる一手間が残っている。死神は「生き物を殺すのではなく、無に帰す」のが役目であるというのは、そういうことだ。
 予定外の死を迎えた人間と死の管理者が協力して、その例外状況を解決しようとする。そんなプロットを見かけることは多い。そうしたもののなかでも本作は、特権的な解決を許さず、「一人分欠けてしまったエネルギー」はそのままに作中を移動し、それぞれの結末に向かう。


 事の核心である過去に起きた出来事は、ありふれた筋書きである。正広と幼馴染の姉妹、過去において亡くなった姉あみと、離れ離れになり詳細を忘れていた正広と、再会する妹香澄。"死"が見える香澄は嫉妬からあみにそれを警告しなかったことを悔やみ、正広は事故現場で動転してあみを助けずに逃げたことを忘れ、そしてあみはどうしても死に切れず、何も果たせないことを承知しつつも死神エアリオとして現世に残った。そして数奇にも正広が迎えた「予定外の死」の調整にあたる。
 事故の記憶を忘却に追いやった正広は、そのままやさぐれて成長し、ありふれた路地裏の喧嘩で致命傷を負う。これが「予定外の死」であることから死神エアリオの介入を招き、曰く「この月が新月になるまで、毎晩誰かとセックスをして、死なない程度に"生"を吸い取れ」として物語は始まる。


 ヒロインは先に挙げた幼馴染姉妹の妹、香澄の他には二人。生まれつき入院ばかりの人間嫌い沙耶と、骨折で入院している元気少女こより。二人の物語もまた、サイドストーリーとして本筋のテーマを固めている。
 それが、「人形」と「忘却」。
 人間嫌いの沙耶は親友である真綾との交流によってだけ、孤独を慰めて生きている。けれどその関係は非対称で、沙耶を愛し独占しようとする真綾に依存する形で成り立っている。これが、「人形」。正広がこの関係に加わることによってそのバランスが崩れ、沙耶は真綾に裏切られ正広に恋し、「人間」として自分の意思で死を選ぶ。

 沙耶は今、自分で決めようとしている。
 今まで、自分でなにも決められなかった……
 決められなかった沙耶が、自分の運命を決めようとしている。
 俺にそれを止めることはできなかった。
 沙耶がせっかく、本当に『人間』になろうとしている事を。

こちらが、死神エアリオの取る最期の選択の補強となる。死の完遂だけが自分に残された人間、不本意な「現象」としての存在に終わりを告げるものならば、それを選ぶ意志。
 もう一人の元気少女こよりが担当するのは「忘却」。こよりは、正広がそうであるように、自分の心を苦しめる記憶を忘れていて、彼と違い、その量が既に飽和状態にある。正広との関わりの中で共に遊んでいた小鳥の「ぴよ」の死の忘却に失敗し、芋づる式に全ての記憶を失っていく。

「そうだ。ボクも深くは知らないが、彼女は元々、心の中に爆弾を抱えていたようなものだったんだろう。
 そして、小鳥の死が引き金で、それが爆発した」

「だから、彼女の記憶をつなぎ止めようとしない方がいい。
 無理に邪魔をすれば、おそらく彼女は壊れてしまう」

 こちらは本編の結末と共鳴する。「人は忘れるから生きてゆける」。死の代わりに、生きていけなくなる破綻した悲劇の記憶全てを差し出す。そこには一体何が残るのか。


 そこで本作が許したたった一つ、ほんの僅かな救済。それが月の雫にメタファーされた「涙」になる。

 死神エアリオは、自分の存在を時間軸全てから消滅させることで悲劇を回収する。
 それは忘れること。過去において事故に遭って死んだ自分を、それによって愛すべき人々に呪いのように纏わり付いてしまった悲劇を、全ての記憶を忘却させ、自分は「存在しなかった」ものとなって消えること。死神にまで成り遂せたことの、贖罪。

 涙は、具体的には何一つ、ほんの僅かさえも救いではない。けれども、ここで流される涙とは「身体」に宿るものである。生きた人間のエネルギーの痕跡である「記憶」は、人の精神、ここで描かれた「魂」だけに宿るものではない。本作の悲劇の忘却ではどれも、涙を流すことだけは許されている。

 Forget-me-Not. 私を忘れないで。その存在を自ら完全に消滅させた彼女が、物質である紙に残した、伝わることのないメッセージ。記憶全てを失っても、身体が涙を流すことだけは許した。祈りに応える「涙」。そんな、最も小さな「奇跡」の物語。