『ブラッドジャケット』 古橋秀之  : 夜を往くもの、明に去るもの

 本編の主人公の一人であるアーヴィング・ナイトウォーカーとミラ・ヘルシングが出逢うまで、物語は狂騒と狂想の空気に満ちている。


 積層都市<ケイオス・ヘキサ>は混沌を極め、物理法則とその科学が魑魅魍魎の類に乱され続け、それを後追いしてなんとか世界の形に治めているという構図は、この街の、あるいはこの作品世界のリアリティの縮図そのものといっていい。

 そうした混沌は都市最下層に"はきだめ"として結晶し、青年アーヴィーはさらにその底を処理する<屍体蘇生業>を生業とする。病床の母を養って、擦り切れるようにして日々を生き延びている姿は、彼自身の気性や吃音と相俟って、読んでいてつらいものがある。

 何よりも忍びないのは、彼がそうした日々の中で摩滅している自身をあまり意識せず、恨むことなく仕事をこなしていく健気な姿を見せるからだ。これは私たち自身の中にも少なくとも一片は存在するであろう、日々を生きていくうえでの心構えとも呼応して、感情移入を誘う。


 物語は、崩壊した他都市<ケイオス・トライ>からの難民に紛れ、稀代の吸血鬼<長い牙(ロング・ファング)>が街に現れることによって動き始める。娘ミラが犠牲になったその日から公平な学者の仮面を捨て去った、吸血鬼学者ウィリアム・ヘルシング。奇蹟に触れて回心した元連続殺人鬼にして筆頭聖人候補、ハックルボーン神父。主導権を狙いあう降魔局と公安局。時間を遅滞させることで低位吸血鬼として保持された娘ミラ・ヘルシング。先に述べた青年アーヴィングに、いい加減さが好人物の職場の先輩ヒューイット……。物語に登場する人物は、誰も彼もこの世界ならではの気質と人格を備え、<ケイオス・ヘキサ>の混沌を生き生きと犇いている。


 が、そんな技巧的な側面は、この物語にとっての中核ではないだろう。

 <ケイオス・ヘキサ>の、あるいはこの作品世界の、歪みという歪みを物も言わず一身にその身に受ける青年アーヴィング・ナイトウォーカー。彼に降り掛かる残酷な運命と、その行く末こそがこの物語の魅力の核心なのだろう。少なくともぼくは、そう読んだ。

 もはや人が人として扱われないに等しい都市最下層で、バラバラに損壊した死体の形を整えて日々を過ごす青年アーヴィー。<ロング・ファング>を巡る騒動から、唯一の日々の支えであり生き続ける動機であった母をその手に掛けて、修羅の夜が始まる。あらゆる歪みのままに壊れた彼は殺人鬼として最下層を荒らし回り、殺せるだけ殺し、左手を失い、父の下から逃げ出した少女ミラと出会う。


 都市の汚泥に振り回され、母を手に掛け、殺人鬼と化し。そんな彼が少女ミラと過ごせるごく僅かな時間は、あまりにも優しい。長く続かないことが目に見えている日々は、より一層の淡い暖かみに満ちていて、どこまでも切ない。


 約束された破局を当然のように迎えた彼は、その向こうに、どんな夜明けを迎えるのか?
 「<吸血鬼殲滅部隊(ブラッドジャケット)>隊長 "アーヴィング・ナイトウォーカー"」の誕生秘話である。