ぜろから

 3歳の頃から、ゲームをしていた。
 家から幼稚園までが遠かったので、朝の10時も近くなる頃、母親のチャリの後ろに乗って運ばれていく。それまでの、朝の時間。
 ぼくは毎朝のように<竜王>を倒していた。
 今となってはほとんどやらないやり込みプレイのつもりなのか、<竜王の城>の見通しのよくない地下で、たいまつを使わないで進むとか、意味の分からない縛りもしていた。さすがに思い出せるのはそうした情報だけで、実際、真っ黒の画面を見つめて記憶の地図で進んでいく感触までは、覚えていない。

 この頃からずっと、ぼくの内面で一貫して魂のようになっていた、非現実に属する創作物への愛は、現実に開放されることはなかった。他の人よりはそういうものに熱心なのは伝わっていたし、○○はゲームしてないでちゃんと寝ろよ、だとか言われはしても、現実のバランスを崩さない範囲内で、と気を付けていた。現実では相手の趣味を伺えば、そうした話を振ってもさして盛り上がらないだろう、とすぐ分かるわけで、それならそれで諦めもついた。だから隠れて消費している分は、ほとんど誰とも共有されないまま、心の中に、積もりに積もった。ネットでも、ずーっとROMをしていた。ネットゲームに嵌っていた時期も、その中ではやはり隠し続けた。現実ではともかくとして、ネットの中でも、同じ趣味を持つ人を前にどうしても語りだせないのは、なかなか堪える。


 一体、何をそんなに恐れていたのだろうか?
 実は今日、なんとなく分かったような気がする。


 話はごく単純なものである。現実に、学校の教室でも会社のオフィスでも、機会を逃し続けて、そのせいでどんどん内に篭もるスパイラルを生じさせてしまう。あれになっていたのだ。ただ、ぼくが過剰に引っ込んでいたのは、現実ではなくネット上でのことであった。現実で起こる様々な軋轢とどうにかこうにかやっていくために「本当に大事なのは」と括弧で括り、ぼくは自分が本当に価値観やアイデンティティを預けている部分について、領域について、外界と触れさせずに生きてきてしまった。
 けれど最近、Twitterでの発信から、別に、自分が思っていることを公開しても大それたことにはならないようだ、と、奇妙な安心感が生まれはじめた。

 Hello,Internet! やっと声が出せるようになったのだ。なんとも情けない話である。これもあくまで一人合点ではあるので、大過なく続けていきたいなと、とにかく書き始めることにした。ここはそんな感じで始まったブログである。